争いは、正義と正義のぶつかり合いで始まる
こんにちは。
自分自身の考え整理のために書いています。
お互いを尊重し合い認め合う世界にするには
どういった考えを持つことが必要なのか考えていました。
違う考えを認め、相手に考えを押し付けないこと。
強要しないことが大切なのではないかと思いました。
争いは、正義と正義がぶつかると起こるものです。
よって、どちらの主張も相手にとっては正しい・正義なのです。
今、世の中を考えると
マスク派とノーマスク派でお互いの対立を感じることがあります。
まずは、お互いの正義を考えてみます。
ーマスク着用派ー
皆してる。
テレビで言ってる。
相手の命を守るためには、必要。
なぜなら、保菌していたら感染を広げてしまうから。
自分というよりは、相手に感染させないように配慮している。
苦しいけれど、我慢してみんなの為にという考えです。
その考えを信じている人は
マスクをしていない人は、
相手に配慮していない自分勝手は人種と写ります。
マスクをしていることを正義として考えています。
本当に恐れている人は、
心から怖くてマスクをしてない人々が
信じられないのです。
ーマスク非着用派ー
無症状の人のマスクは不要なぜなら
マスクは、感染予防にならない。
飛沫感染予防としても、
ウィルスよりもマスクの繊維の方が
粗いので意味がない。
ウイルス🦠量からして、
無症状者から感染することはない。
そもそも、
インフルエンザよりも弱毒性の風邪なので、
日常生活で問題ない。
むしろ、熱中症や血液中の酸素濃度が下がり健康を害する。
マスクは個人の自由であり、
マスクをしないことを選択する自由があるという正義。
根拠の論文や死亡率の計算、
その後のワクチンや奴隷社会のことは
取り急ぎ置いといて、大雑把にいうと両者の正義はこんな感じでしょうか。
どちらにも、正義があるのです。
マスク着用は、道徳的、宗教的な正義感
マスク非着用は、論理的、現実的自由な正義感
例えば、
森の中で暮らしている、メェメェ部族♈️がいました。
メェメェ部族は、成人する時に片目を槍で刺して、
片目をガラス玉にする風習があるとします。
なぜなら、そうする事で神の眼を手に入れたと信じているから
ガラス玉にしないと、その人間には悪霊が付いていることになると信じています。
そんな彼らにとっては、森の外に住んでいる両眼がある人々は
悪霊に取り憑かれた可哀想な人々に移ります。
森の外の住人は
わざわざ、健康な片目をつぶすなんて狂ってる!!と思うでしょう。
そして、ある時、森の外の住人が立ち上がります。
メェメェ部族を助ける為に、悪い習慣をやめさせようと。
すると、メェメェ部族は恐れ戦きます。
悪魔がっ悪魔が攻めてきた!!!と
我々の神の目を奪おうとしている!戦わなければならない!
となるでしょう。
そして争いが起きます。
争いを避けるには、
相手が心から信じていることが
自分と異なっていたら、相手に強要しないこと
違うことを認めることが大切なのかなと思います。
心の中での棲み分けでしょうか。
争いと分断が起こっては意味ないのですよね。
自分の責任で自分で選べるようになると良いなぁ
お互いの自由を尊重する世界が良いなぁ
矛盾していようが、何しようが
マスクをする側にも、しない側にも
お互いに理由があり正義があるんだなぁってお話でした。
そうは言っても、なこともあるんですよね。
その先は、まだ自分は明確な答えが出ないので、
保留。